共に歩む路

ありがとう いただきます

d0018698_21374277.jpg



鶏をしめるのは 初めての体験でした。

鶏がしめられてゆくのは
とても悲しくて、切なかったです。


今まで散々、美味しく食べていたのに 突然おしよせてくる 罪悪感。

ごめんなさい という気持ちを含んだ
ありがとう、ありがとう という想い。

それ以上の言葉にはなりませんでした。



だけど 不思議なもので
二羽目 三羽目とみていくと
慣れていくものです。

そして いよいよ私の番。

冷静に包丁を引きました。

でも、私がしめた鶏は生命力が強くて
血をぬいて熱湯につけるまでおとなしかったのに
熱湯につけたとたん蘇って 逃げました。
びっくりしました。

それでも捕まえて…。

中途半端に屠殺するのは、
逆に残酷なことなんだと痛感しました。


その後、羽をむしり解体していきました。

内臓のまわりにたっぷり脂肪がある鶏、
健康的な筋肉質な鶏
卵をいくつもかかえていた鶏…

色々な鶏の身体をみました。

約10羽の鶏たちは、
胸肉 もも肉、ささみ、ホルモンやレバーといった感じで別れていきました。


そして、その後は
ひき肉にしたり、
お刺身にしたり
ガラでダシをとったり…


それらは数時間前まで元気だった鶏さんたちではなく、美味しそうな鶏肉料理に変身。

スーパーで買うお肉より
ずっと歯ごたえがありました。
食用に飼われていた鶏ではないからだそうです。

そしてみんなで杯を交わしながら
美味しくいただきました。


そして 語り合いました。

命のこと。
動物のこと。
人間のこと。
今の日本の社会のこと。
原発のことまで。

『命はいただいているってことを、みんながちゃんと知ってさえいれば、
感謝の心があれば、原発なんていらないって気づくんだ。』

こうおっしゃっていたのは、
今回鶏の屠殺指導をして下さった、養鶏農場の清水さん。


若者たちに、自分にできることをしながら
大切なことを伝えていきたいとおっしゃっていました。


他にも様々な素晴らしい意見がありました。






今回のことを通して、
「私たちは命をいただいて生きているんだ」
ということを体感しました。


今回の企画は、動物を食べるのは可哀想だから菜食主義になろう、
ということではありません。


鶏が殺されていくのをみてきっと食べることができなくなる人もいるでしょう。

でも、本質をつかむことはそういうことではない と私は思っています。

お野菜にも命があり、
草や花、昆虫にも、水、空気にも 「生命(いのち)」があるということ。


私たちは命を与えられて生きている。
だから感謝していただく、その「意識」が大切 ということです。


感謝することは、私たちが生きていくための、最大の叡智なのかもしれません。

私は、この「鶏から食を考える日」の企画で
そういうことを学びました。



心から、ありがとう。
[PR]
by BittyBijou | 2011-12-04 21:37 | 日々
<< ミツバチの羽音と地球の回転 鶏から食を考える日 >>



コイノニアの記録
紹介
コイノニアの日々の記録
イベントの告知など。
以前の記事
フォロー中のブログ
カテゴリ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧