共に歩む路

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あるがまま

ああでなければならない

こうでなければならない

こうであってほしい

という想いは自分も他人も
動植物や物さえも不自由にします


だけど

こういうなりたい

こういうことをしたい

という一見前向きな想いさえも
実は命令になっていて不自由になっているということを知りました


大いなるもの は そんな自分の小さな考えよりも

もっと大きく
もっと深く
私に必要なことを与えてくれる


だから大切なのは

あるがまま にからっぽであること


そうすると 自然に
インスピレーションがわき
必要な場所へ
必要なことに
自分が導かれてゆく



なるほど そういえばそうだ となっとく


あるがまま でいましょ
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by BittyBijou | 2010-01-26 11:47 | 日々

すべて自己責任という自由な働き方



本来、気の流れを作り出すのがこの仕事の原点だと
私は思っています


爽やかで明るい あたたかい風

そういう気の流れが
ここにくるひとたちの心身の健康を左右するのです


それはつくろって作り出すものではなく
自分自身の心が本当に穏やかであることが大切です


人間だから小さなことで イライラすることもあるでしょう
泣きたくなるときもあるでしょう

そんな時はどうするのかというと
正直に素直に
その心の不安や痛みを誰かにみせたり
またそんな自分から逃げずにしっかり向き合うことで変わってゆくようにおもいます


ある日のことでした。

次から次へと利用者さんが 倒れたり 便をもらしたり 誤嚥(ごえん)してしまい私はてんてこまいでした


その時私は 前日あまりきちんと睡眠をとれていなかったので 疲れていました


そのせいか 心の中は だるいな 疲れたな そういう自分中心の思いばかりがありました


その心をつっつくようにそういった出来事が次々とおきたのです


私はとても反省しました


心が乱れて気の流れを見出すくらいなら 一時間寝坊してまた帰ってくればよかったのです

そもそも疲れがたまって心が乱れてしまうような生活をしてはいけないのです


でも このことは本当に私にとっていい勉強になりました


自分の目の前で起きていることのすべてが 自己責任ということがさらに理解できたからです


すべて自己責任というとなんだかかたくるしく重たいようにも感じられますが

実はこれは逆にストレスを作らず とても自由でありながら自然と成長につながっているのだとおもいます


今日も 便が緩い方がいらっしゃいますが


相手が自分の姿だとおもって
あたたかな気持ちで
よろこんでお手伝いしようとおもいます


介護する側 される側 お互いが自由であるために
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by BittyBijou | 2010-01-22 09:06 | べっぴんの日々

『人に何かをしてあげること』

長いけれど
とっても感動したこの記事を残しておこう



『人に何かをしてあげること。』


私は、比較的やさしい、
思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが習い性となったのか、
頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、
少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、
それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、やさしいとか言われ、
そう言われればもちろん悪い気はしないから、
自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。

食事中に私は、友人から意外なことを言われた。

共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、
彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。

「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、
結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、
ときどきするんだよね。」

彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。

私は猛然と反論しはじめた。

「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?
やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、
それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?
それって、あんまりじゃない。
もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、
そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、
相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 

黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。
偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?
能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。
彼は苦笑して私を見た。

「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。
人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、
君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。
ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」

話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、
ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、そしてそのまま別々の電車に乗った。

下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、さっきの友人の言葉を思い返した。

腹は立つのだが、何となく気になる。

残念だが心の奥底が、どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。

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ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。

地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。

釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。

そしてこう言ったという。

「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。

人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。

ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、遠くてそれを口に入れることができない。

ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、今度は満足に操ることもできない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、それらを口に入れることができないのである。
人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。
食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、
自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、
人に食べさせることによって自分の口に入る。

≪人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながる≫
というような話だった。


こういう戒めはキリスト教にもある。
聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という言葉がある。

ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、
もう一つ大切なことが隠されています。
それは、多くの人が誰かのために何かをするという行為は、
所詮、自分への見返りを期待してのこと。
仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」
 

友人はこのことを言っていたのだろうか。
自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。
それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 

私は決して、何かを人にしてあげる時、具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、
でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、人の評価を聞いて満足するというような、精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 

私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばないのかもしれない。
 
私は胸が苦しくなった。
 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。

偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。

その上に、階段はずっと続いているのである。

私はその階段があることに気づいていなかった。
…いや、気づいていたのかもしれないが、面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。

けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。
どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。 

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帰宅後、私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。

電車の中で気づいたことを素直に告げた後、どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・
植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、
太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。
人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、
もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、きっと自己満足なんかしないと思う。

むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹や
こもれびにサンキューって言いたい気分になると思う。 偉そうなこと、俺も言えないけどね」

私は体中が温められたような気分だった。
 
その友人は二年後に亡くなった。
周囲の人の殆どは知らなかったが、彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。

もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。

郷里に住む高齢のご両親にかわって、友人たちが彼のアパートの整理をした。

そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。

「彼の部屋は貼り紙だらけだった。 テレビには『笑いに感謝』、
流しの水道には『水に感謝』、 トイレには『排泄に感謝』、 ベッドには『眠りに感謝』
それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。
何て書いてあったと思う?

『病気に感謝』って書いてあったのよ」


彼女はそういうと電話口で泣きだした。


人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを
素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
 

次のステップはまだ遠い。
でも私はあの友人のおかげで、ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。
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by BittyBijou | 2010-01-20 06:54 | べっぴんの日々

極上の生活

毎日

朝日が昇るまえに起きて
凍った車にお湯をかけてからはしる

日の出を拝んで
今日もみんなの穏やかな顔をみる

昼間は青空の下で
火を使って仕事して


夕方になれば 夕陽に包まれて

夜は満天の星空の下
流れ星をみつける

みんなが穏やかに眠るのを確認して家に帰り

夕食を作って
パートナーと語り合う

彼が眠るのを確認して私も眠る




手はすみだらけで
服は煙り臭くて
靴は土だらけ
お化粧なんて必要がない

なにも持ってない
特別なものは必要もない

守るべき大切な人たちとぐっすり眠れる家と
この広い空を毎日みれるだけ
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by BittyBijou | 2010-01-20 06:52 | 日々

あいてのきもち

あたりまえのことだけど


もっとあいてのきもちになって いきましょうね わたし
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by BittyBijou | 2010-01-17 17:06 | 日々

おばあちゃんのことと今年の豊富


単純明快という言葉は
私のおばあちゃんのためにあるんじゃないかっていうほどに
うちのおばあちゃんはシンプルな人です


子供のように無邪気で明るい
食のすべて(食べること作ること)が生きがいで人寄せが大好き

人並以上に苦労したはずなのに…
まったくそれがみえない

痛みを表に出さないのではなく
そもそもが『ない』


不思議だ…
ほんとーうに不思議だ


おばあちゃん自らもよく言う

『苦労したはずなんだけどねぇ…
というか私、苦労したのかしら?(ぼんやり)』





複雑なことを考え込んでしまうよりは
わーわー騒いで それでおしまい

わーわー騒ぐもんだから
なんだか周りは
逆に深刻にとらえられず笑ってしまう


そんなに騒ぐことじゃないだろう!(笑)と…


病気の時も 旦那さん(おじいちゃん)が早くに亡くなった時も家族が借金を抱えてしまった時も
あらゆる困難の時も
騒ぐだけ騒いだらあとは切り替える


そう、切り替えが人並以上にうまい

あれは間違いなく才能


嬉しい時は喜びで笑いがとまらなくなり
つらいときはつらいといい
感動した時は涙を流す


そして 最近おもうのは
私、非常におばあちゃんに似ている…
最近特に近づいている…ということ


いろいろと敏感に察知するのは変わらないにしろ(これも私の長所として)

これはとてもありがたいことで
今では おばあちゃんは憧れの存在となった


人にからかわれたり 、まったくしょうがないなあ と面倒みてもらえるということは すごくすごく幸せなことなんだって
おばあちゃんをみていて自分自身にも安心した(笑)

愛されていなければ人はその人のそばに集まってはこないんだもの

この人一体何を抱えていて
一体何を考えているんだろう?という人は
まわりがすっきりしないし自分も閉ざしたままになっちゃうもんね


そういうものがなくいつもオープンだからこそおばあちゃんは今健康なんだろうな


では。まとめますと。


女性は 頭の良さよりも
素直で
愛嬌があって
思いやり深くて
感受性豊かで
お料理が上手で
なにより『愛される』ということはすごく大切なこと

これが女性の徳をつむような気がする


よし、今年のテーマは 単純明快!

そして調理師免許取得と料理のスキルアップ!



みんなで青空のように すっきり笑っていきましょう〜!
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by BittyBijou | 2010-01-17 11:21 | べっぴんの日々

ONE FOR ALL ALL FOR ONE



一人はみんなのために

みんなは一人のために
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by BittyBijou | 2010-01-17 08:59 | べっぴんの日々

共に…

自分と相手をわけて考えちゃいけないね

相手は私の一部
相手は私自身の姿


私たちのまわりにその人がいるということは
私にとっての問題でもある


まるで別の環境
別の人生
別の人格のようで

それは地球が宇宙の一部のように
相手は私の細胞の一部だということ


だからこそ相手の傷つき迷う心を抱きしめ
自分の中で癒し

あたたかな光を放つ


相手が言えないぶん
私が代わりに
ありがとう、大丈夫、今に変わってゆくからと


そうすることで
私の一部である相手はきっと癒されていくはずなんだ


その人自身は気づいていなくとも
みえないものたちはわかっている


みんなみんな
見透かしてくれている
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by BittyBijou | 2010-01-14 09:51 | 介護から学ぶ

結婚って…

いいなぁ

と おもう


結婚してよかったなぁって…


つくづく。




新妻 2010
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by BittyBijou | 2010-01-09 16:15 | おもうこと

老人は無条件に可愛い

という人がいた


そう思えていなかった自分が正直なところありました

でも 大切なのは『無条件にそう思える大きな心』なのですね
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by BittyBijou | 2010-01-07 08:08 | 日々



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